Zutto

Zutto(ずっと)…それは魂の絆で結ばれた2人が伴に生き伴に歩く道

◆障害友に生涯伴に

可能性を信じて

[投稿者]by:由(ゆかり)_φ(^▽^*)

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日本にも、こうした取り組みが始まっているのは知っていたけれど今回、この動画を観て日本もなかなか捨てたもんじゃないなって感じたのが率直な感想だった。

人って身体的な外見的な相違に関しては見た目で判断できるので、受け入れやすいというか認めやすいものってあるけれど・・・発達障害のような場合だと、「変わってる」って感じで片付けられてしまうことや片付けてしまうことが多いように感じる。

人の可能性って、周囲がそれを「変わってる」として終わらせてしまうか!?それに「可能性」を感じて、そこから初めていくかで大きく変わっていくような気がした。無駄と思えるようなことを「無駄」にしてしまうかどうかも、自分自身だけでなく周囲によっても大きく変わる感じもする。

ROCKETは,異才を発掘し,継続的なサポートを提供することで,将来の日本をリードしイノベーションをもたらす人材を養成することを目指すものです。

秘めた能力がありながら、さまざまな理由で不登校傾向にある小中学生の学習を支援する、東京大学先端科学技術研究センター(東京都目黒区駒場)と日本異才発掘プロジェクト(ROCKET)財団(東京都港区赤坂)による「異才発掘プロジェクト。

異才発掘プロジェクト(ROCKET)

ROCKET プロジェクト

ETV特集 アンコール「不器用な ぼくらの教室~東大・異才発掘プロジェクト」




参加している子どもたちの特徴

参加している子どもたちは、前述した通り「突出した能力はあるけれど、現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学校生」であり、決して障害者などではありません。

むしろ、突出した能力を持った天才・異才な子どもたちばかり。IQが非常に高く、大学で学ぶ数学を既に理解できてしまう子どもがいたり、流暢にプレゼンテーションする子がいたり、動画編集の能力が非常に高い子もいました。



別の動画の、異才発掘プロジェクト 「ROCKET」学習プログラム/Top Runner Talk #3数理物理学者 西成活裕「数学の力は大統領にも勝る」『ダメだとわかって3ヶ月』という言葉があるんだけれど、人の可能性を伸ばせるかどうかってことにも、これも大事なことだよね。

「今さえよければ・ここさえよければ・自分さえよければ」何かを判断するときに、基準とする。・・・このシリーズ受講生の子供たちに向けたモノだけれど、いやいや大人にも十分すぎるほど勉強になりますね。また機会を作って、取り上げていこうと思う。

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広義でも狭義でもなく

[投稿者]by:由(ゆかり)_φ(^▽^*)

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障害と友に生涯を伴に生きる

この を観終わって率直に感じたのは、人間にとってこの問題は始まりであって終でもあるような原点なんだと思った。

広義的には「自分は差別はしない」と思っていても、 狭義的に自分を視たとき…「あの人とは合わない」「この人のココは好きだけどアレはイヤ」と思ったりしている自分がいたりする。



どうして差別という概念が生まれてしまうんだろうか!?そこには「自分とは違う」というスケールが、そうさせているのかもしれない。そんな気がした。それは外見的なことだけではなく、宗教や思想や価値観や趣味…諸々つまり全てが対象となっているような気がする。

わたし自身も含めて相手のこともこの世の中のことに対しても、やっぱり多くの人々はそうしたモノによって判断していることが多いのだと思う。

晃(あき)ちゃんと知り合い付き合う中で、わたしも福(ふく)ちゃんも様々な想いと葛藤してきている面もある。

それは広義としての差別観はないものの、それが個人的な部分での狭義的付き合いとなると些細なことで行き違いがあったり反発しあうものがあったりすることがある。一言で言ってみりゃ心がちっこい…

でもコレが今の自分なんだと率直に感じている。

特に福(ふく)ちゃんは、わたし以上にそうした気持ちに苦しんでいるとこがあるんだろなって…って感じることが多い。それは、やっばりわたし以上に晃(あき)ちゃんと自分との違いってモノがあるからなんだと思う。

「生きてる」「死んでいる」「女」「男」「定型者(普通の人)」「発達障害者(ASD/ADD/ADHD)」そういった様々なことが、自分自身を狭義的な捉え方に引き込んでしまっているところがある。

今回、動画を観ていて強く感じたのは自分が狭義的なカタチでしか相手と向き合えない間は、本当の意味での差別意識というものが無いとは言えず、逆に狭義的な関係性の中で様々な違いに対する自分自身の捉え方が払拭された時に、本当の意味での広義的な意味での差別に対する考えも変わるのかもしれないと感じた。

そしてソレを取り除くために必要なのは、やっぱり霊的観点からどう視るか!?なのではないかなってことも改めて思わせてもらった気がする。

福(ふく)ちゃんにしても、わたし自身にしても自分自身がそうした観点から視ることができているときは相手にも寛大な心で接することができる自分になれるのに、そこから外れた視点で相手を見てしまうと…自分の言動が「好き嫌い」だけで判断してしまっていたりする。

だけど霊的観点から本当に視ることができている場合は、そんなことは毛頭ない自分がいる。

物の見方は広義的だとか狭義的だとかってことよりも、どの観点に立ったものなのか!?ということの方が重要で、それによって変わってくるんじゃないかってこの動画を観終わって強く感じたことかもしれない。

発達障害者(ASD/ADD/ADHD)である晃(あき)ちゃんのことを本当に理解していくことは難しいと思う。なぜなら、自分はその立場での経験をしていないからなんだと思う。

けど…霊的観点という視点から物事を深く考えることが自分自身の中で優先されていたならば、感情的な部分や気持ちだけで相手を見るのではなく、その先にある何かを感じできることはあるような気がする。

難しいけれど本当は極々シンプルで、ただ自分が相手に対して「同じ魂を持つ仲間」として相手を視て相手のことを考え想うことができるか!?だけなのかもしれない。きっと、それができるかできないか。

そして、それを自分自身が遣るか、遣らないかだけなんだと…

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障害とは何を持って言うのか!?

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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障害と友に生涯を伴に生きる

改めて、この事件と向き合い僕なりに色々と考えてみたいと思った。




確かに今の世の中の風潮として、表向きには障害者に対して「理解しています」「受け入れてます」的な一面を見せているにも関わらず、だけど心の奥底から本当にそう思っているのか!?っていう観点で視ると、そうでない部分も本当はある人もいるってのも率直なとこなんだろうと思った。

2つ目のの中で仮名田中君が当初、.述べていた意見には僕も共感はできない。人間が生きてる価値を生産性で捉えて視るというのは偏った考え方で、危険でもある。だが、そうした考えに至ってしまう背景には日本の閉鎖的な風土や民族性みたいもの。そして何よりも今の社会特有のモノがあるのも事実だろう。

目に見える情報によって物事を捉えることが多い人間にとっては、様々な情報が判断基準やらになるのかもしれない。僕自身、生きてた頃と今とでは物事の捉え方も変わっていることだけは間違いない。

死んでからは男と女であっても男女や異性という感覚より1人の人として、更に今は同じ魂を持つ仲間として捉えていることのほうが圧倒的に多い。きっと晃(あき)との関係にしても以前の僕であれば、付き合うことすらなかったと思う。
いちばんいいのは、健常者だろうと障害を持った人たちであろうと同じ環境の場で助け合って支えあって伴にやっていけるのがベストなんだと思う。…というか、それが本来あるべき姿なんだろう。

特定の施設の中に集めてしまうような今の社会の成り立ちこそ、ヘイトクライム的な犯罪を生み出してしまう要因になってしまっているような気がしてならないからだ。閉鎖的なことをするのではなく、開かれた社会にこそ、本当の助け合いの精神も自然と生まれてくるのだろうから。

そもそも何を持って優とし何を持って劣と見なすのか!?そして何を指して障害と健常者と分けるのだろうか!?その多くは見た目での判断だったり、普通と違う…などといった曖昧なものでしかない。

植松被告は朝日新聞や共同通信に送った手紙で、テレビで見たイスラム国とトランプ大統領候補から影響を受けたとも書いているのだが、それらが彼に具体的にどんな影響を与えたかは定かではない。またたびたび指摘された、彼が「ヒトラーの思想がおりてきた」と語ったという話も、ある人物が本人に直接尋ねているのだが、7月21日の手紙で彼はこう書いてきている。

私はユダヤ人や黒人を見下し差別することはございません。ナチスの優生思想や現代の共生社会は物事の本質を考えることなく短絡的な思考に偏り、人間の尊厳や定義が蔑ろにされております。


一、自己認識ができる。

二、複合感情が理解できる。

三、他人と共有することができる。

これらが満たされて人間と考えられます。


 勉強不足の至る所で日本の裁判に詳しいことが分からないのですが、たしかに責任能力の無い人間は罪を償うことができません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にするべきだと考えております。》…と、このように述べている。


彼が言う「心の無い者」とは、いったいどういった人を指しているのだろうか!?

の中で友達が話している事件前の植松聖被告の言葉や手紙から想像すると、自己認識や会話による意思の疎通や喜怒哀楽が複雑に絡み合ったような感情…等ができないと判断した相手を指しているのかもしれない。だが僕はそれは自他問わずに対し人間として最低限、人間らしい考え方や対応や生き方ができないということこそが僕は「心の無い者」だと感じる。

五体満足であっても荒んだ心や歪んだ考えを持ち人を人とも思わないような、津久井やまゆり園での障害者殺傷事件を起こした植松聖被告のような人間こそ本当は障害があるのであって。

津久井やまゆり園での障害者殺傷事件で犠牲になった方々は純粋な心を持った人たちは、生活していく上でのハンディはあるかもしれないが、だからといって障害者ということではないと思う。

こうした問題は、どちら側の立場からしても本当に納得のいくようなカタチにしていくのは難しいことなのかもしれない。しかし、だからといってそのままでよいということでは決してないのだろう。物理的な部分でのバリアフリーも大切だろうが、最も大切なのは思想や心のバリアフリー(偏りや壁)なのではないだろうか!?

物質的な豊かさは人間から人間らしさを奪ってしまっただけなんだろうか!?金銭や経済的なモノが絡んでくることで、善意が善意とかけはなれてしまうことがある。


今のような世の中で、本当に人間らしい心が育つのだろうか!?
その疑問は、更に大きくなるばかりだ。

そして何よりも物質主義のこの世の中こそが、
最大の障害となっていることだけは間違いない。


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