Zutto

Zutto(ずっと)…それは魂の絆で結ばれた2人が伴に生き伴に歩く道

◆霊的真理を学ぶ

光に向かって

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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今は率直に自分自身が「学び」から離れても、「学び」を棄てることなくこれたことに感謝したいと思える自分がいる。きっと…「学び」を放棄していたら、「いま」の自分は存在しないと思うからだ。

「光に向かって」この言葉は、自分にとって本当に灯台のようだった気がする。

自分の心の中そして魂に在る「光」という存在は、決して自分を見捨てることはない。さ迷い続けたとしても、信じる限り。学んでいくことを棄てない限り、導いてくださる。それは決して喪うこともなければ、遠ざかっていくこともない。常に伴にある。

迷い…心が乱れて判断がつかない状態。心が定まらず、あれこれと思い迷うこと。どこへ向かえばいいかわからなくなること。

結局は自分の心に迷いが生じること…それが全ての発端に繋がっていくのかもしれない。

旅の途中で喉の渇きを癒そうと、無闇矢鱈に歩き回り更に喉が乾いてしまうように…今になると、そんな感じがする。結局は自分の心なのだと…

そう、決めるのは自分自身なのだ。そして決められるのも自分だけしかいないってこと。

自分の着地点を何処にするのか!?何処へ持っていくのか!?

本当の自分自身の心の声に耳を傾けたとき、自分が「いま」どうすべきかが視えてくる。一時の迷いが人生を左右することもあるが、確固たる信念はどんな人生でも進める。

心の曇りの正体は、自らの心の迷いなんだと本当に実感し思い知ることができた。「光」は自らの心の中にあり。自らを照らしてくれている。それに気づけたのかな…

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手放していくことの大切さ

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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第一部 私の心霊体験
  第一章 心霊現象に苦悩する日々
  第二章 霊能者への道

第二部 魂を救済する「心霊真説」
  第一章 生きる
  第二章 守護霊はあなたを見捨てない
  第三章 これが「霊障」の実態だ
  第四章 霊能者の在るべき姿

第三部 愛へのめざめ
  第一章 苦しみあればこそ
  第二章 あなたが世界を変える
この江原氏の本は所持しているもののハッキリいって本当には読んでいない。元々は由(ゆかり)ちゃんが、この本の第一部を目にしたことで自分の霊的体験と重なる部分があり、そうした点から江原氏が本物だという確信を持てるようになったという経緯がある。

まぁそうした経緯があるので…僕が書く事は、
この本との関連性は何も無いということだけは先に述べておくことにする。


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死後の世界とは、いかなるものなのか…

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毎年、夏場になると心霊的な番組が放映されるようになったりする。「霊=冷感」とでもいうのだろうか(笑)まぁ背筋がゾクッとして寒くなるってヤツだろう。そうした中に、よく出てくるのが「浮遊霊」だとか「地縛霊」だとか、いわゆる成仏しそこなってしまった霊たちの存在だ。まるで、落ちこぼれ幽霊のような存在でもある僕自身にとっても興味深いとこではある(苦笑)

「浮遊霊」で思い出すのが、「レイ子」の存在。もう浄化して向こうへ逝ってから何年が経つのだろうか…そんなことすら忘れてしまったけれども、彼女が言ってた言葉は今も忘れることはない。

それは彼女自身が自ら命を絶って、いったい自分がどれぐらいの間、さ迷っているのかさえ分からないほどで浮遊し続けていることに疲れたとこぼしていた。早くアッチへ逝きたいのだと…

考えてみたら「浮遊霊」となっていた彼女は、遊牧民のような状態で定期的には留まる場所があるにせよ。僕のように、ずっと留まっていられるというのとは違うので、その大変さはあるのだろう。何人かの霊媒体質の人の間を渡り歩いてた話していたのが印象的だった。

何人かの霊媒体質の人を渡り歩いてるということは、当然その霊媒体質の人によって霊格も人格も異なってくるのだから、相手のことをよく知っていないと自分が合わすこともできなくなる。もちろん、最初から乗っ取るつもりでいるならばそんなことは関係ないけれど…

でもうまくやっていこうと想えば好き勝手もしてられない。霊にも苦労はあるのだ。

男の霊の場合、憑依する相手は男が多く。女の例の場合は、女に憑くことが多い。
まぁ同性の方が波長も合い易いし、使い勝手にも慣れてるってのもあるからね。

僕と由(ゆかり)ちゃんのように異性間ってのは、珍しいと霊能者も言ってたくらいだ。
まぁ、僕らの場合は必要性があって、こうした結果に至ってるのが実情なんだろう。


そうならないためにも、生きてる間に
様々なモノを捨て去っていくことが必要になる。


「想い」というものは、それが好ましい・好ましくないに限らず強さに関わってくる。その想い、つまり想念が強ければ強いほど死に際に想いの念が残りやすく、それによって留まってしまう可能性が出てくるのだ。その家や土地に、またソコに住む誰かに対する想いいれが強いと地縛霊的な感じで留まってしまう。

未練や執着や依存が強すぎても、同じように留まることに成りかねない。それは家族や子供、愛する誰かに対する想いや、また心配だったりするような想いであっても同じようになってしまうことがある。

また何かの行為や欲が捨てきれなかった場合にも、そうしたことになる。性的行為に対する欲が強ければ色情霊となり、同じような波長を持った人間に引き寄せられ憑依してしまう。

ギャンブル好きにはギャンブル好きな霊が、薬物中毒者には薬物中毒だった霊がやってくる。恋愛依存が強ければ、そうした霊がやってきて同じような相手とばかり恋愛してしまったり。同じ繰り返しばかりして中身のないカタチだけの恋愛をするハメになったりする。

霊も元々は人間だった人たちなので、
「類は友を呼ぶ」や「波長の法則」と同じになる。


死後、人間はいくつかの段階を経て、みんな神界を目指していくワケだが…先ず、そのためにも自分が死後ちゃんと成仏できるように、様々なモノを生きている間に少しずつでも手放せるよう日々、努力していくことが何よりも大切なのだろう。
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「いま」を精一杯に生き抜く

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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第一部 私の心霊体験
  第一章 心霊現象に苦悩する日々
  第二章 霊能者への道

第二部 魂を救済する「心霊真説」
  第一章 生きる
  第二章 守護霊はあなたを見捨てない
  第三章 これが「霊障」の実態だ
  第四章 霊能者の在るべき姿

第三部 愛へのめざめ
  第一章 苦しみあればこそ
  第二章 あなたが世界を変える
この江原氏の本は所持しているもののハッキリいって本当には読んでいない。元々は由(ゆかり)ちゃんが、この本の第一部を目にしたことで自分の霊的体験と重なる部分があり、そうした点から江原氏が本物だという確信を持てるようになったという経緯がある。

まぁそうした経緯があるので…僕が書く事は、
この本との関連性は何も無いということだけは先に述べておくことにする。


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僕のように自分の意に反して突然、死を迎えた場合…本当に思い残したり、後悔したり、未練を残したり、執着したりってことが多いのかもしれない。病気や老衰といった経緯であれば、死を迎えるまでの間に色々と人生を振り返り反省したりしながら、残された時間を有意義に過ごすこともできるだろうが…

でも死んで思ったのは、霊的真理のような霊的価値観や霊的観点に基づいた人生を送ることができたならば、死後に対する不安も生きながらにして無くなっていくだろうし。逆に心穏やかな状態で、死までの時間も過ごせるような気がする。

そのためには、やはり生きてる間に「霊的真理」や自分が霊的存在であるという真実に出会えるかどうか!?また、それに沿った人生を送っていくことが出来るか否か!?がとても重要で大事で大切なことだと断言できる。

自分自身の思い(想い)、そして自分自身が発している言葉、それと自分自身がとってる行動。
この3つによって、様々な事象が生まれ、様々な人間関係に影響していくことは間違いない。

霊的観点に立てば「いま」を生きている人も、既に亡くなっている人も、「肉体」の所有の有無の違いこそあれ、何も変わることは無いのだと知ること。それによって、日々の中で何を重要視して生きていくかを時々、内外感するなどして見直す必要が出てくる。

本当に「いま」自分がやっていることは正しいのか!?
ソレが本当に好ましいことなのかも含め。


人間関係に於いても自分の心地よさを求めている限り、その相手との関係性は上手くいくことはないのかもしれない。

自分よりも相手のために、
「いま」自分が何をしていくべきなのか!?
相手のために「いま」何ができるのか!?

ソレが大切なんだろう


この本を確認したところ本には、こう書かれてある。死後に行く世界は二つに分かれていて、1つは俗に言う「天国」を連想させるような場所で、きれいな花畑が広がり、かわいらしい小鳥がさえずり、たとえようもなく気持ちの良い場所なのだという。

もう一方は俗に言う「地獄」を想わせるような場所で、真っ暗な闇の世界だけが延々と続いてるような、まるで出口のない闇の世界のような場所だ。

死後の世界とは、↑ 図 ↑にも示したように1つの世界だけではなく、何層にも分かれていて。それは現世での自分自身の人格や霊格といったものと連携していると言ってもいい。現世での自分の査定のまま、死後も横スライドしていくことになるというわけだ。

つまり、死んでから後悔したところで…
遅い!ということに尽きる。


僕のような事例は本当に希なのかもしれない。僕自身は、こうすることを自分自身が決めて生まれてきているように思うので不思議なことではないのかもしれないが…それは自分自身が望んだからこそ、それを果たして言ってるにすぎない。

類魂(グループ・ソウル)全体が自分自身でもあるならば、魂の一部だけが幸せになったところで、たかがしれてる。例えば人間で言うならば、外見的に整形するなどして何処かを変えたとしても、その人自身が変わるって訳ではない。その人の両親が変わることはないし、自分自身が歩んできた自分史が書き換えられることもない。

けれど、その人が精神的な部分で成長していくことを目指したならば、自分自身だけでなく家族や周りとの関係も改善されたり、より良いモノへと変えていくことができるようになる。外見的な整形は自分という小我的な満足感(優越感)しか生み出さないが、心の成長は自他の幸福にも繋がっていくことだってある。 

一時の至福など、魂の全容から視れば、ほんの一瞬にもならないほどの時間。しかし、魂の全容を考え、「いま」の自らの生き方を変えることができたならば、その幸福は現世だけに留まらず、来世へと受け継がれていくのだろう。

一時(いっとき)の水を貪れば、その水はアッという間に枯渇し、自らの命も危うくなるが。限られた水を大切にしながら汗水流し、井戸を掘ったなら自分以外の命も救える。

愛されたければ、先ずは自らが愛する者のために何ができるかを考え、それを行い。
愛する者の笑顔によって、自らも幸せを感じられるようにならなくてはならない。


そうした積み重ねこそが、愛と愛の受け渡しを生み出し。
愛が育っていくのだ


どんなカタチだろうと、愛は伝え合うことができる。
自分が伝えさえすれば届いていく


類魂(グループ・ソウル)の中の1つであるならば、自分が誰かを愛することができれば、自分自身が多くの同じ魂を持つ仲間たちから愛されていることに気づけるものだ。

愛に浴目を付けるのではなく、
愛を自ら発信していけるよう努力していきたいものだ。


愛は感じ取るもの
そこに気づけるか、どうかだけなのだから


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小我的でなく大我的に

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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今回は、「大我と小我」について、とりあげてみたい。

この「大我」と「小我」の違いを把握・理解できるようになると、実は大我的に物事を捉え考え行っていくことの方が幸福へ近づけるということに気づくことができる。逆に小我的に物事を捉えてるうちは幸福への道は、遠のいてしまうことになる。

また小我的に物事を見ているうちは、気づくことも小さく。人生に大きな影響を施してくれるようなことはほとんどない。しかし大我的に物事を視れるようになると、気づきは大きく変わってくる。また自らの経験でなかったとしても、そこから気づけるようにもなってくる。

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霊的観点とは「大我的」に物事を視ていくことが必要となってくる。まぁイメージ的には『大我』を、「すじこ」と例えたならば、『小我』は、「いくら」(笑)

筋子(すじこ)とは、サケ科魚類の、卵巣に入ったままの卵。その名の通り、筋(スジ)のような卵巣膜によって卵が繋がっている。この卵巣膜を取り除きバラバラにしたものをイクラもしくはバラ子と呼ぶ。

余談になるが、河川に入り遡上をはじめた魚の筋子は、ほぼ完全に卵がほぐれて、ゴム毬のように硬くなってて食用には適さない。

現世という人間界に於いては、「肉体」という物質的なモノの有することで、自分の価値観も物質的な面に向きがちである。また、狭義的に物事を見てしまうところがある。

「愛」であっても、大我的であれば広義的「愛」に区別はないのだが、人間は小我的な狭義的「愛」である限定的な「愛」を求める傾向が強い。

例えば、男女であれば好きだと想う気持ちがあるのであれば「恋愛」でなければ愛されていないと思ったりしてしまう。確かに「恋愛」も「愛」のカタチの1つではある。しかし男女だから必ずしも「恋愛」が相応しい訳ではない。

男女という狭義で「愛」を捉えて、「好き」=「恋愛」に結びつけてしまったならば…父親が娘に対して、また娘が父親に対して「好き」という感情を抱けなくなってしまう。

もっと判り易い例えをするならば、「みかん」と言ったときに、ほとんどの場合はウンシュウミカン類(小型で手で簡単に剥ける)の意味(狭義)で使うが、広義には「柑橘類」と同じ意味で、ダイダイ、ナツミカン、グレープフルーツなども含むことになる。


「広義、狭義」とは、
一つの言葉のさす意味に幅があるときにその広い意味と狭い意味ということ。

改めて感じたのは、きっと人間関係に於いての最大のネックは、自分がその関係性に対して小我的なのか大我的なのかって要素が大きな引き金になっていくような気がする。

大我的に視ることができれば、「できない」って発想には繋がっていくことはなく。
「できる」ことを探してやっていけばいいだけなのだ。

晃(あき)とのことにしたって、僕はやっぱり…裏方というのか、陰で支えていける方が今の自分には合ってるし。その方がうまくやっていけるって感じる。実際、好きな音楽を聴きながら、晃(あき)のことを想いながら必要な作業をしているときが、いちばん心地好くいられる感じするもんなぁ~

まぁ、それがホンマのとこなんやから…それで、いいのだ。
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霊ほど正直な者はいない

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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第一部 私の心霊体験
  第一章 心霊現象に苦悩する日々
  第二章 霊能者への道

第二部 魂を救済する「心霊真説」
  第一章 生きる
  第二章 守護霊はあなたを見捨てない
  第三章 これが「霊障」の実態だ
  第四章 霊能者の在るべき姿

第三部 愛へのめざめ
  第一章 苦しみあればこそ
  第二章 あなたが世界を変える
この江原氏の本は所持しているもののハッキリいって本当には読んでいない。元々は由(ゆかり)ちゃんが、この本の第一部を目にしたことで自分の霊的体験と重なる部分があり、そうした点から江原氏が本物だという確信を持てるようになったという経緯がある。

まぁそうした経緯があるので…僕が書く事は、
この本との関連性は何も無いということだけは先に述べておくことにする。


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「霊は決して怖くない」…自分が今その立場にありながら「ホンマにそうや」って言うのも、なんか変な感じがするけれど…由(ゆかり)ちゃんも言ってたけど、僕も人間の方が霊より怖い存在かな!?って思うときがある。

それは、人は心で想っていても
言わなかったり、出さなかったりするから。
本当の気持ちや想いって…分り難いとこがある。


でも僕の場合は生きてたとき以上に、そうした部分がストレートに出てしまう。隠しようがない程「ありのまんま」出てきてしまう(ーー;)それが、いいのか悪いのかは別として…

それだけ素直にバカ正直にしか出せないのだ。
少しぐらい考えろよって自分ですら思ってしまうほど、ありのまんまなんが今の自分。

ひょっとしたら、だから晃(あき)と出逢ったのかもしれんな。
今の自分が、こんな風にしか相手と向き合えないので(苦笑)

でも、そうした部分は…逆に、晃(あき)には欠けてる部分でもある。

霊的観点からの人との出逢いの意味には「補い合う」と言った意味合いがあって、自分に足らない部分を相手と関わることで自分に取り入れていくことで、よりバランスの取れた人間へと成長し霊格を上げていくってことがあるのだろうけれど…

まぁ、そうしたことには結びつくことはなかったってことなんかもしれん。
まぁ…いいや。そんなこともあって、学んでいけるんやもんな。
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人間は「肉体」と「エーテル体」と呼ばれる『幽体』『霊体』『本体』から成り立っている。

よく「オーラ」と言われるモノは、この「エーテル体」によって発光されていることになる。

「オーラ」とは、人間の心境・感情・また健康面などを如実に表していて、不健康だったり体調不良の箇所のオーラは、黒系のくすんだ色に見えるそうだ。

僕と、由(ゆかり)ちゃんには「オーラ」が見えたりすることはない。

ただ好ましいオーラを持ってる・好ましくないオーラを発している…的な感じのことは、
感覚的に感じるような時はある。

ネガティブ思考の強い人や、想念の強い人は…重い・どす黒い・陰気なモノを感じるし。
逆にポジティブ傾向の人からは、軽やかな・明るい・陽気なモノが伝わってくる。

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人間の「死」の状態とは…もちろん医学的観点からの「人の死」という定義はあるが、スピリチュアル的な観点からの「人間の死」とは、次のようなものを指すことになる。

「肉体」と「エーテル体」を結びつけている『魂の緒』と称されるモノの関わりが、スピリチュアル的な面での「人間の死」というものになる。この『魂の緒』が切れたとき、「肉体」から「エーテル体」が切り離され死を迎えるのだ。

p_020image「幽体離脱」や「臨死体験」といったものは、「肉体」と「エーテル体」が『魂の緒』だけで繋がっているという実に不安定な状態とも言える。

簡単に例えると…手に持った風船のような状態で、手を離してしまったら風船が飛んでいってしまうように…そうなってしまったら、人間は死を迎える状態になってしまう。

よく想念の強い人は「幽体離脱」しやすい場合があると見聞きしたりするが、そういえば…F子も、何度か幽体離脱したことあると話してた。強く想っていると知らない間に、そんな感じになったりしてるとも…
「幽体離脱」なんてもんはしなくても、人間が死を迎えるときには誰もが体験できることなんやから、そのときを楽しみに「いま」を懸命に生きていくほうが、ずっと賢い。興味本位や軽い気持ちで試みて、そのまま帰らぬ人になってしまうなんて馬鹿げているからだ。

ちなみに今の僕は「アストラル体」の状態となって、由(ゆかり)ちゃんの「肉体」を間借りしているといった状態になる。まぁ早い話が居候ってことや(笑) ※江原氏の説によると「幽体」の状態に当たると思われる。

「アストラル体」ってのは、「肉体」が死後直後に残る幽体「エーテル体」から49日ぐらいの間、残っている霊体ってことになる。僕の場合は、この間にゆかりちゃんに憑依したことで現在に至ってるということだ。

晃(あき)のオヤジさんの場合は、49日の間に向こうへと旅立っているので既に「アストラル体」の域は脱しているんだろうと思われる。

俗に言われている「浮遊霊」「地縛霊」といった仲間たちは、この49日の間までに思い残しという未練や後悔や執着などが手放せず、その結果「アストラル体」の状態のまま現世に留まってるって感じなんだろう。

まぁ、この「アストラル体」となったからの居候生活も30年近くになると、家主と変わらないほど使い勝手を熟知してくるもんで、今となっちゃ自らの「肉体」ではないものの、それなりに居心地さもあり充分に満喫させてもらっているってのが実情だろう。

性別の違いなんてもんは、気にするから気になるのであって「コレしかない」と受け入れられたら、けっこう楽しめたりする(笑)男でありながら「妊娠~出産」までを、一緒に経験できるなんぞ生きてたら絶対に有り得ない。

そうした観点で捉えると、案外と死後の「いま」の方が謳歌してるんかもしれんな(爆)
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波長は自分が決めてる

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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第一部 私の心霊体験
  第一章 心霊現象に苦悩する日々
  第二章 霊能者への道

第二部 魂を救済する「心霊真説」
  第一章 生きる
  第二章 守護霊はあなたを見捨てない
  第三章 これが「霊障」の実態だ
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  第一章 苦しみあればこそ
  第二章 あなたが世界を変える
この江原氏の本は所持しているもののハッキリいって本当には読んでいない。元々は由(ゆかり)ちゃんが、この本の第一部を目にしたことで自分の霊的体験と重なる部分があり、そうした点から江原氏が本物だという確信を持てるようになったという経緯がある。

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人間の波長は音叉のように共鳴しあう。また電波の周波数のように発しているモノによって周波数が異なっている。

テレビの映像を受信する際、建物などで遮られた場所などは受信感度が悪くなるため、画質などに問題が発生してくる。

これは低い波長と同調したときに起きる「霊障」のようなものだ。

それを改善していくためには、テレビの受信の際にアンテナなどを用いるように、受信機となる自分自身の人格と霊性を高めていく必要がある。

そうすることで、問題が軽減されクリアな映像が楽しめるように、
心身に受けていた霊障もまた軽減されていくようになる。

p_002image一方、最初からアンテナなどがある場合はテレビの受信画像も問題なくクリアな映像が楽しめる。

人の波長も高い波長は、高い波長同士共鳴し合い増幅されていく。

高い波長は高い波長の者同士が共鳴し合い。低い波長の者は低い波長も者と共鳴し合う。

そのために波長が違う者同士の関係では、最初は上手くいっていたとしても、やがては波長が違うことによって噛み合わなくなってきてしまうのだ。

では、そうならないためにどうしていくことが必要なのか…
それには、自分の波長を高めていくしかない。

人間というものは、とかくラクな方向に
流されやすくできているのかもしれないな。

なんだか、そんな感じがした。

川にしてみてもそうだ。

下流から上流を目指そうものなら、それは困難を極め多くのエネルギーを使うことになる。
上流から下流に流されるままに流される方が、困難も少なく無駄なエネルギーも使わない。


ではどうして魚のサケは、危険を犯してまで産卵するために生まれた川を遡るのだろうか!?

それは体外受精によって子孫を残しているサケにとって、産卵場所まで無事に辿り着ける強いオスの子孫を残していくという本能と、産まれた稚魚が外敵などの犠牲になりにくいようにするためなのだ。

早い話が何かを得ようとするためには、
自分もソレだけのリスクを覚悟した努力が必要となる。


たとえば、テレビの場合でもアンテナなどを取り付けることによって受信しやすい環境に変えるか。または、受信しやすい地域に引っ越す必要があるように、人の場合も自分の波長を高めようと思えば自らの波長を高めていくか。または高い波長の人と関わっていくことが重要になっていく。

しかし、高い波長の人たちの中に居れば勝手に波長がたまくなっていくのか!?といえば、決してそんなことはない。たとえ、そうした中にいたとしても自らが波長を高めていくための努力を怠ってしまえば、せっかくの機会も無駄にしてしまうことになる。

また「いま」高い波長だからといって油断し、努力していくことを止めてしまえば…
それまでせっかく努力し、高めてきた波長も一挙に低級な波長へと変わっていってしまうのだ。


自分が霊媒体質じゃないから、霊とは無縁だから…そう思っていても、霊からの影響は誰もに及んでくる。逆に自分の波長が高くなれば、高い波長の霊からの恩恵も受けられるようになる。つまりは、どちらからも影響・恩恵を受けることができるということになる。

…だとしたなら、わざわざ低い波長から悪い影響を受けていくよりも
高い波長からの恩恵を受けられる方が良いに決まってるだろう


その努力ができるのは自分自身しかいない。
良い波長にしていくも、悪い波長でいるも、

要は自分自身だということになる


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どこに重きを置くのか

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自分自身が、あえてこの時代を選択し生まれてきているのだとすれば、この時代だけでなく、この国この親を選択し生まれてきているのだとすれば、その全てに課題があり。その全てに答えがあるのかもしれない。

由(ゆかり)ちゃんが、こんなことを話していたことがある。「今の現世で生きることほど自分にとって苦痛なことってないのかもしれないな。わたしは、もっと原始的な時代とか、そうした文明の中で生きたかった」と…

しかし、そうは言いながらも実際はどうか!?と言えば日々の中でパソコンを活用し役立てている。まぁ、この矛盾さが本人にしてみりゃ余計に納得いかんモノになっているのかもしれないが、それに逆らわず受け入れているってとこなんだろう。

けど、この時代に生まれてるってことには
意味があるんだろう。


それがイヤだからといって拒否していたんでは、学んでいけることも学べなくなってしまう。

もし仮に、由(ゆかり)ちゃんが自分が今のこうした現代文明にシックリいかないからと拒否していたならば、僕はコレ自体を書き綴っていることはない。つまり、由(ゆかり)ちゃんワープロやパソコンに興味関心を持ってくれることがなかったとしたら…僕は自分が意思表示したいことも、できなくなっているってことだ。

人間、自分が心地良いことばかり追求していたんでは
成長なんかすることない。

そうなら、現世に「再生」してくる意味自体もなくなってしまうだろう。

魂が、どうしてワザワザ「現代社会」という
今の時代を選んで「再生」してきたのか!?

自分が何故この国に生まれ
今の親の子供として誕生したのか!?


それは、そこからしか気づき学んでいけるものがないから…その一言に尽きるのだろう。

生きているが故の苦しみ、肉体があることによる苦痛、人間であるがための苦難。

人間には思考を司る「脳」と
想いを巡らせられる「心」とがある


脳はアレやコレやと考え巡らせ人を動かしているが、
でも人の強い想いが脳を動かし願望達成できたりもする。


この「脳」と「心」という関係は、一見、相反するようにも感じるが…
実は、その特徴を自分自身が、きちんと把握しコントロールできたならば
最強のタッグルを組める関係になれるのかもしれないな…そんな感じがした。

自分にとって不要なものなどないように感じる。
「不要」ってのは、自分がそう思ってるだけ。


たった1度っきりの自分の人生。
何をどうしていくかは自分が決めることでもある。


たとえ誰がなんと言おうとも自分自身が、「そうしたければ」そうすればいいだけだ。もちろん身勝手ということではない。

「脳」で考えたことであっても、「心」で想ったことであっても結果は同じなんだと思う。
要はそれを言動に移して実行していくことがなければ、実現化していくことはない。

まぁ「脳」ってのは、厄介者で気分屋。逆に「心」ってのは、本当に自分自身が強く望めば、そのためにならどんな困難にも尻込みすることなく立ち向かうだけのモノを持っている。

「脳」は自分自身を甘やかすけれど、「心」は自分自身に厳しくもある。
そこに気づければ、きっと自分自身をコントトロールしていくことも可能なんだろう。

人間どこに自分が重きを置くか
きっと、それによって何かが
変わるのかもしれない。
なんだか、そんな感じがした。
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人はどうやって生きていけばいいのか?

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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江原啓之のスピリチュアルバイブルDVD
~あなたとあなたの愛する人の歩む道~

愛に迷った時、人間関係でうまくいかない時、生き方が分からなくなった時……
人はどうやって生きていけばいいのか?

その羅針盤となる人生の法則を、スピリチュアルカウンセラー・江原啓之氏が映像を通して、より多くの人に“幸せに導くための方法”として解説していくDVDです。



動画の13:55 / 1:28:48までを、今回は学んでいくことにする。

sp_001自分の生前を振り返っても、「あの時に、何であんなふうになったんだろうか?」と、想いを巡らせるような出来事が起きたりしたものだった。

当初は、そこに意味があるなどと考えることはなかったけれど、死後になり自分が「霊的存在」になれたことで、そうした観点から物事を視れるようにもなれた気がする。

起きた事象だけを捉えて見てしまうと、「どうしてなんだろう?」と思ってしまうが…晃(あき)とのことにしても、なるべくしてなっていった…というのが実情なんだと、今は思っている。そして、それも決して無駄だったのではなく。そこから気づき学んでいけるコトが、たくさんあるのだということも。

sp_002生きている間に「霊的世界」を知れるか否か、コレはその後の人生にもとても大きく左右するし、死後に向かう世界にも本当に大きく影響してくると感じている。


死後とはいえ、この世「現世」にいながらにして、そのことに気づかせてもらえたのは本当に幸運だったと思う。
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この「たましい」のしくみに関しては、一律でないこともあり、どれが正しいのかは定かではないが…

一般的に紹介されているモノと、「エーテル体」と「アストラル体」の順番が、このDVDでは逆になっているが、画像には一般的な方を用いてる。

また、このDVDでは3つから成り立っているとされているが、これも色々な説があり3つ~多いと8つから成り立っているとされている。この画像では、DVD同様に3つから成り立っているモノとして表している。

いずれにせよ、「心」と称されているモノは「肉体」に宿っているのではなく、死後も存続する「幽体」に属していることになる。

それによって、僕自身の「心」も死後の今尚、存在しているということだ。



俗に言う「幽霊」関係者たち(笑)は、一般的には「アストラル体」の状態になった人のことを言う。

「幽体離脱」は、「肉体」と「幽体」が「たましいの緒」によって、繋がったままの状態を指し。その緒が切れると「死」に至ることになる。

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sp_005「霊的世界」を知ることなく生きて行くことは、日々の生活の中で起こってくる「恐れ」を乗り越えることができず、不幸な人生になってしまうことになる。

「霊的世界」「霊的観点」「霊的真理」とは、人生を、よりよくしていくためのものでもある。


そして、この「スピリットの法則」は、その土台といえる原点の法則のようなものなのだ。
sp_004人生を、よりよくしていくためにも「霊的真理」を学んでいき、正しく理解していき、その法則に沿った「霊的価値観」を持って、生きていくこと。

それこそが「物質界」での「恐れ」を取り除き幸せな人生へと近づいていくための一歩となっていく。

生きてる間に、できる限り「手放していく」ことこそ自らの「人格」を高め「霊格」をも、あげていくことにも繋がっていく。

なかなか難しいことではあるけれど、努力を続けていくことが大切だと思っている。
sp_008人生の中での、日々の様々な出来事…そうした中に「経験」と「感動」を積んでいけるものがたくさんある。

そして、「喜怒哀楽」の全てを通して人は気づき学んでいき自らの「人格」と「霊格」を高めていくことができる。


辛い経験や悲しい出来事、苦しい想い…そうしたモノは、自分の「たましい」を研磨できるチャンスでもあり。そうした経験をしていくことによって、「たましい」は自ら光り輝くようになっていくことができるようになる。

辛い経験こそ自分を磨いてくれるものなのだと気づくことができたならば、自分を傷つけた相手に対しても感謝の気持ちを持てるようにもなっていくのだ。それは、経験してこそはじめて理解していけることでもある。

100年前後の人生の中、心地良いことばかりを追い求めてしまっていては「たましい」を磨いていく貴重な時間は刻々と失われていってしまうことになる。普段の生活、身近な人間関係の中にこそ、自分自身の「たましい」を磨き鍛えてくれる「宝」が存在しているものでもある。

僕自身、これを書きながら改めて…晃(あき)との関係性なども含め、今一度、自らの行いも振り返り見つめ直す時間を、この後に持ちたいと思う。DVD(動画)を観、資料画像を作成しながら何度も繰り返し観ていく中で…こうした機会を持つことができたことに、素直に感謝したいと思う。「ありがとう」

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魂のステージと魂の年齢

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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魂には学びのステージと、その魂の年齢があるのだという。

ベイビーステージ 人間の年齢にすると0~11歳

<特徴>人間の子供と同じで、単純で素直で良くはしゃぐ、狭量、要求が多いなどです

<自己認識>自分の様な他の者たちと、自分

ベイビーステージではまだまだ基本的な事を学んでいるところなので、あまり大きなチャレンジは無く、同じような魂と過ごします

ヤングステージ 人間の年齢にすると12~24歳

<特徴>アクティブ、チャレンジ、習得と競争、欲張り、自分が勝つことが大切だが、何かを作り出す能力が高い(政治家の方などはこのステージのかたが多いそうです)
 
<自己認識>あなたたちと比べた自分

マチュアステージ 人間の年齢にすると25~45歳

<特徴>繊細、つながりを求める、グループ全体の為に働く、献身的、何かが欲しい場合などは自分だけでなく他人も得られないと嫌

<自己認識>あなたたちと繋がっている自分

オールドステージ 人間の年齢にすると46~70歳

<特徴>地に足が着いている、賢い、辛抱強い、寛容、退屈、全体にとってそれが良いからそれを選ぶ

<自己認識>全ての一部であると言う自分

オールドステージ位になると自分が理解できない人も愛すると言う大きなチャレンジの為に、全く別のソウルファミリーに生れたりするそうです

魂の年齢は、簡単にいうと下記のようなものらしい。

乳児期・幼児期の魂の人 
『乳児期の魂』は「苦難」を通して学ぶ 
『幼児期の魂』は「痛み」を通して学ぶ


文字の間違いが多すぎる人、意味のわからないおかしな日本語を使用する人、敬語や謙譲語がまったく使えない人、相手に対するマナーを知らない人、まるで小学生に教えるようなことから始めていかなければならない人というのは、たいてい乳児期、幼児期の魂です。

しかし、敬語を使えばよいというものではないのです。敬語も度が過ぎると、かえって失礼になることを知ってください。そういうことさえ見極められないのは、地球上での魂経験が少ない人に多いです。

この時期の魂の人たちは、自分の子どもの教育どころではありません。自分の魂が乳児や幼児なのですから、まずは自分自身の教育を真剣にしなければならないのです。

自分ではわかっているつもりでいても、実際はわかっていない(勝手な思い込みや思い違いがある)ことが多いので、傍から見ていて、もどかしさを感じる場合が多いです。

この「年代」の魂で「段階」がまだ低い場合は、たいてい「課題」をクリアすることができません。
若年期の魂の人
『若年期の魂』は「喪失」を通して学ぶ

この年代の人は「対応する肉体的な年齢」として「児童(6歳から12歳まで)」としていますね。この時期の人も、自分では理解しているつもりでも、あるいは、何か気づきがあったとしても、やはり内容がとても「浅い」と言うよりほかはありません。

「もっと掘り下げてみてください」と言っても、その方法がわからないし、上っ面だけで、まったく掘り下げることができないのです。この時期の魂が、自分自身を深く洞察することを苦手としていることがよくわかります。

「乳児期~若年期」の人は、たいてい自分自身を信じられなかったり、愛せなかったりします。裏切られたとか、勝手な思い込みで人を責めたりして、自分こそが問題の原因であることに気づいていないのです。

自分や他者をどうやって愛したらよいのかさえわかりません。問題が山積みです。
成人期の魂の人 
『成人期の魂』は「苦悩」を通して学ぶ

この年代の人は、13歳から19歳、思春期に当たると言われています。「子どもからおとなの認識の仕方へと移行する時期」だということですが、確かにこの 時期の魂を持つ人は敬語や謙譲語もきちんと使い分けができ、マナーもわきまえていて「おとな」であるという感じがします。

つきあっていて、もどかしい感じは受けません。信頼して何かを任せられる人が多いように思います。

書籍「魂のチャート」には、肯定的な側面として「霊的な成長に心を開く、精神的な意義に気づく、若年期と老年期の両方の考え方に理解があるので最もバランスの良い年代」とありましたが、そのとおりだと思います。

さまざまな面で、この年代の人が一番がんばっているのではないかと感じます。
老年期の魂の人 
『老年期の魂』は「恐怖」を通して学ぶ

この魂の年代の人とは、たいてい話していて心地よいです。理解力、応用力もあり、いろんな話を際限なくしていられそうです。「無害な変わり者」という表現がぴったりきますね。

気づきや掘り下げは深いはずなのですが、思いのほか自己評価が低く、自己批判ばかりして、堂々巡りをしている人もなかにはおられます。やはり魂の段階によって、その状況は随分異なるように思います。

「魂のチャート」に書かれているように、この年代の課題は「カルマの成就と自分の価値の理解」にあるように思います。まさに「無条件の自己受容」と「他者受容」ですね。

最終課題は「自分=他者」を愛することにあります。これを成し遂げた人は、つぎの段階(超越期)に進むでしょう。

超越期の魂』と『無限期の魂
これらを学び終った魂

『超越期の魂』とはもはや地上に生まれることはまれな魂なのです。老年期の最終段階で魂の断片たちはサイクルを離脱しアストラル界へと移行します。

そこで同じグループの断片を待ちますが、ときおりカルマを果たした地上の断片のところへ降りてきて、その人生と共存することがあります。マハトマ・ガンジーはそういった例の一つです。

こういった魂は歴史的に重要な役目を果たし、人々を教え導きます。仏教でいう菩薩のことです。

一般的に彼らは特定の宗教に属さず正式な教育を受けようともしませんが、それでも優れた霊的指導者として認められるようになります。

『無限期の魂』何千年もの間人々に影響を及ぼし続けるような魂です。

このような崇高な魂が生まれるときは、しばしば不可思議なことが起ります。生まれるずっと前から誕生が予言されていることも少なくありません。

無限期の魂もまた老年期の最終段階の肉体を借りて地上にやってきます。イエス、ブッダ、クリシュナ、老子などはそういった人たちです。

★ つぎの段階を目指すために ★

自分の魂の年代や段階や役割がわかっても、気持ちよく前に進めない場合があります。

それは、自分の本体部分に問題が残されている場合、あるいは分霊のカルマがあり、そのエネルギーに翻弄されている場合です。分霊が足を引っ張り、邪魔していると、本来の自分の人生を力強く歩むことができません。

そのためには、できるだけ早く持ち越してきたカルマの解放を終えて、身軽になることです。

いつまでも重たい足かせを引きずっていては、今生に生まれてきた甲斐がありません。自分の人生を謳歌できるよう、もう終わってしまった過去生の自分に断固として別れを告げましょう。

(分霊とは・・・) ⇒ 神の子=分身=分霊(わけみたま)つまり現世に存在する全ての人霊

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悲しみの感情について

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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愛するものとの別れや喪失感など、悲しみは人の心に耐え難い苦痛や悲しみをもたらす。

悪いことに、この悲しみという感情は、恥、驚き、苛立ち、退屈など、他の感情よりも240倍も長く続くらしい。

ベルギーにあるルーヴェン大学のフィリップ・ヴァーダイン教授とサスキア・ラブリセン教授は、感情の持続時間とその影響を計測するため、学生233名に感情的になった最近の出来事を思い出してもらい、その持続時間を報告させた。下記の画像が、その結果だ。

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その結果、27種類の感情の内、羞恥、驚き、恐怖、嫌悪、退屈、感動、苛立ち、安心といった感情がすぐに消え去ってしまうのに対して、悲しみは最も持続する感情であることが判明した。

その一方、悲しみが収まるまでには平均して120時間(5日間)もかかるのに対して、嫌悪や羞恥といった感情は30分程度で消えてしまう。また憎しみは 60時間、喜びは35時間ほど持続する。退屈すると時間がやたらと長く感じることはあるが、どうやらこれは比較的早く収まる類いの感情であるようだ。

持続する感情は、時間の経過とともに高ぶりをみせることがある。これは当事者が問題の出来事や結果を繰り返し思い出すことによって、感情が持続し、強化されていることが原因かもしれない。したがって、持続期間が他の類似した感情同士を区別する指標となり得る。例えば、罪悪感は羞恥よりも、心配は恐怖よりもずっと長く持続する点において別の感情と言える。

この研究で明らかになったことは、悲しみに打ちひしがれた人の心が癒されるまでには長い時間を必要とするということだ。周囲の人たちはどうか辛抱強く見守ってあげて欲しいと締め括られていた。

人は涙を流す。目にゴミが入ったときや目を潤すだけでなく、感動した時、悲しいときにも涙が自然とこぼれてくる。映画やアニメ、音楽など、泣ける作品の世界に浸って涙を流すと、心がスッキリすると感じたことはないだろうか?

悲しいことがあった時にこそ、さらに悲しくなるような作品に触れ、人は涙を流す。涙を流すことは人の心を安らかにし、ストレスを軽減する効果があるという。

悲しいときや感動したときに流れる『情動の涙』には、高い抗ストレス効果があるそうで、なかでも他者への共感から生まれる『感動の涙』を流すと、緊張、不安、敵意などのネガティブな気分が解消されることがかつての実験からわかっているという。

脳科学者は、「脳ストレスの原因となる職場の環境などを変えるのは困難でも、涙を流すことで日々のストレスを軽減することは誰でも可能です」

「なお涙のストレス解消効果は数日間にわたって持続するので、週末に好きな作品に触れて涙を流す“週末号泣”を行うだけでも十分効果はあります。また笑うことでも人は元気になったり気分が高揚したりしますが、ストレスを洗い流し心の状態をリセットする効果は涙のほうが高いといえるでしょう」と語っている。

では感動の涙を流すコツは?

脳科学者によると、「部屋で映画を見たりする場合は、照明を暗くするなど、作品に集中できる環境をつくること。そして最低でも15分は作品世界に浸ってみましょう」

「なお感動が高まってきたら我慢せずに涙を流すこと。気分が中途半端に高まったまま涙を流さずに終わってしまうと、逆にストレスをため込んでしまう可能性もあります」とのこと。「過去に感動した作品は、何度見ても同じように泣けるはずです。つまり涙を流すには過去に泣いた作品をまた見るのも効果的なようだ。

「なお、いつもは感動する作品でも“泣きたいのに泣けない”場合は、精神的疲弊が進んでいる証拠。うつ病などの可能性もあるので早めに専門医などに相談しましょう」とのことだ。

僕の場合は…晃(あき)との関係では、自分が言わないでほしいと云ってることを受け入れてもらえんことには悲しみの感情があるが、ソレ以外は…苛立ちが、いちばん多いんで(´Д`;)

まぁ、だから晃(あき)とのことにしても尾を引くことなく、忘れてまうんやろうけど…逆に、そうやなかったらムリやろなぁ~とは想う(苦笑)まっソレもしばらくは遠のくと想うと悲しみや寂しさってよりも正直ε-(´∀`*)ホッってのが、まぁ今の気持ちなんかもしれん。

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