Zutto

Zutto(ずっと)…それは魂の絆で結ばれた2人が伴に生き伴に歩く道

◆心と魂の旅/気づき

双子の魂としての道

[投稿者]by:由(ゆかり)_φ(^▽^*)

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ツインソウル=ツインレイ…2人が出逢う前の段階がツインソウルで、出逢った跡がツインレイという方もいて、どちらがどうということよりも、どちらにしても、もともと1つだった魂が2つに分かれた存在であることに変わりありません。

わたしと福(ふく)ちゃんは、現世でこうして出逢う以前にも何度か一緒に出逢っている感覚が伴に有り、そのうちの何度かは福(ふく)ちゃんのカルマとなっていた相手とも重なっています。12年ほど前にネットで知り合ったF子ちゃんが、その相手です。

彼女は幽体離脱ができたり念を飛ばしたりと…あって、その彼女と福(ふく)ちゃんの中にある前世の記憶が幾つかリンクし重なってたりと…一見、運命の相手に想える相手が実はカルマを生み出してきてた相手だったと福(ふく)ちゃんが気づき、その関係に終止符を打つことになったのが今から約10年ほど前のことでした。

わたしと福(ふく)ちゃんとは、ある時は兄と妹だったり。ある時は許嫁だったり…この許嫁だったときに、福(ふく)ちゃんの魂はF子ちゃんの魂と浮気したり…(^_^;)まぁ、そんな感じで何度か出逢ってきてるみたいです。

現世での福(ふく)ちゃんは、亡くなってからスピリチュアル的なことに目覚めたワケですが…でも、それは遠い昔の前世で決めていたことだったようです。

この時にも、福(ふく)ちゃんの魂はF子ちゃんの魂は男女の関係になっていたみたいで…(´Д`;)

でも、神の導きを伝えることをしていた身でありながら、それを教えていた家の娘と深い中になってしまったらしく…その結果…福(ふく)ちゃんの魂は命を絶ったようで…その時に「また生まれ変わることがあったなら、そのときは死んでも真理を学び続けたい」と誓ったような感じがすると…F子ちゃんと話してました。

福(ふく)ちゃんの魂とF子ちゃんの魂は、前世の幾度かを共にしながらも男女の色恋沙汰で上手くいかなくなりを繰り返してたようです。まぁ、その前世~現世で出会うまでにも、許嫁だったわたしの魂がいながら(笑)福(ふく)ちゃんの魂はF子ちゃんの魂と浮気したり…してるんですけどね。

だから現世でのF子ちゃんの魂との再会時も惹かれあうように好きになり、福(ふく)ちゃんが死んでることなど関係なく恋愛関係になっていました。もちろん肉体はないので、ネットの中だけですが…福(ふく)ちゃんは、何故だか死んでるにも関わらず妙にモテたりします(苦笑)

その証拠に今は、晃(あき)ちゃんもゾッコン…(^_^;)

現世で殺され命を落とした福(ふく)ちゃん…前世の何処かで自ら命を絶ってしまっています。

だけど、その際に「また生まれ変わることがあったなら、そのときは死んでも真理を学び続けたい」と誓っていたからこそ…現世で、死後こうして学んでいく道を選び留まることになったのだと思います。でも、そのためには肉体が必要で死んでしまった以上、生き返ることはできないのだから代わりの肉体が必要となる訳です。

一方わたしの方は、霊魂となった福(ふく)ちゃんと出逢う5年ほど前に憑依体質になりました。

10年前に書いてたブログ逃げずに信じ諦めない】にも書きましたが…その当初の2年ほど前の1980年ある出来事をキッカケに最初は低級霊と波長があうってより、不思議な体験が頻繁に起きるようになり…その2年後から、憑依されたりするようになっていきました。なので、福(ふく)ちゃんと出逢った頃は普通にそんな状態だった頃です。

でも、わたしがそうした経験を経ていなければ…福(ふく)ちゃんと出逢っても、今こうして一緒にいることなんかできてないことになるんですよね。不思議ですが、それが事実で変え様のできない真実でもあります。

最初に福(ふく)ちゃんの存在を視ぬき、わたしと福(ふく)ちゃんとの関係性も見通していた霊能者さんのアドバイスに添って、伴に生きる道を選んだものの…正直、魂同士の繋がりは自覚できたものの当時は憑依体質だったので、低級霊に憑かれることが多く自分自身が精神的にも参ってしまってきてた部分もありました。

福(ふく)ちゃんとだけであれば、そんなことはなかったんだと思いますが…現実は、そうはいきません。

その苦しみの果てに、わたしは福(ふく)ちゃんとの別れを決意し別の霊能者さんの元へも行ったりしました。福(ふく)ちゃんを浄化させてもらうためにです。でも、そこでも「この人はムリに出さないほうがいい。そんなことをすれば、あなたの命もどうなるかワカラナイですよ」と云われ…遂に腹を括る決心ができたという経緯があります。

その後も低級霊に苦しめられることはありました。

福(ふく)ちゃんが中から道連れにし追い出してくれた時もありました。でも、それによって…わたしと福(ふく)ちゃんは離れ離れになってしまった。数ヶ月間でしたが、それまで四六時中ずっと一緒だった福(ふく)ちゃんと離れ離れになってしまいました。

ある日わたしはどうしても眠気を取る必要性があって、眠気覚ましのドリンク剤を立て続けに数本飲んだ後に急性カフェイン中毒に陥ってしまい…このまま死んでしまうんじゃないか!?ってほどの状況になってしまったことがあり、救急車が来るまでの間に「福(ふく)ちゃん助けて…」心の中で福(ふく)ちゃんを呼んでいたんです。

その時に戻って来てくれて依頼…ずっと一緒に今はいます。

きっと、福(ふく)ちゃんが現世で殺されたのは前世の何処かで自ら命を経っていたからかもしれません。そして、お母さんや恋人が自ら命を絶ってしまったのも、その繋がりもあるのかもしれないです。

それから、亡くなった後に『霊的真理』を学びたいとココに残る決心をしたのは、前世の何処かで命を断つ前に「「また生まれ変わることがあったなら、そのときは死んでも真理を学び続けたい」と誓っていたからなんだと思います。

わたしの方も、そのために「ツインソウル」である、わたしの魂としては霊媒体質かせめて憑依体質になってる必要性があったんですよね。…でないと、福(ふく)ちゃんは学べないし、こうして一緒にはいられないのですから。

自分自身が体験しているにも関わらず、ほんと不思議だなって思います。だけども逆に魂が決めていなければ、辻褄が合わないような出来事が起こってるのも事実です。そう思うと、わたしが憑依体質になるキッカケになった出来事も必然だったんだと思えます。

福(ふく)ちゃんと出逢ってから30年…心底から伴に生きる覚悟をしてから25年以上…今では憑依体質から霊媒体質へと進化してはいますが、ココに至るまでには本当に色々とありました。でも、そんな辛く苦しかった時間も今では1つの思い出となっています。


わたしたちの中では、ツインソウルやツインレイとかってよりも「双子の魂」とか「魂の片割れ」って方が、なんかシックリくるとこがあって…表現の違いというのかあまり、その辺は自分たちの中では大きな位置づけにはなってない感じがするんです(笑)

ただ、辿っている道のりは不思議とツインソウルやツインレイですね。

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透体脱落

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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は、書籍「仏教の名言」のあとがきに記されていたものだ。

ここには、道元が『正法眼蔵』記した名言に下記のような言葉があると書かれている。

「仏道をならうというのは自己をならうというは自己を忘るるなり」仏道修行とは本来の自分を知ることだ、そして、本来の自分を知るとは、迷いの中にあっては迷いのまま、悟りの中にあっては悟りのまま、いずれにもとらわれることなく透体脱落して表面的な自己から離れることだ」

この中に『透体脱落とうたいつらくという言葉がある。「とうたいだつらく」とも読まれるこの『透体脱落』とはいったいどのようなことを指すのだろうか!?

簡単に言えば、『悟りを開く』ということだろう。しかし、この悟りを開くといっても簡単なことではない。そこへたどり着くまでに産みの苦しみのような壁を乗り越えなくては、悟りが開けることがないからだ。

人間にとって乗り越えなくてはならない壁というものは、個々によって違ってくる。だが、その壁を乗り越えずして悟りが開かれることは決してない。ラクして開くことなどないということである。

単なる「気付きました」的な「気付き」と、「気づき」の積み重ねによって起きてくる悟りとは質も違えば、その大きさも深さも強さも、まったく別の次元のものとなってくる。

透体脱落は、その字の通り自らの肉体すら脱ぎ落としてしまう…つまり意識体だけの自分自身ということなのではないか!?そこには自我というものが存在していたとしても、他者との間には壁すら感じない…まぁ、だからこそ「悟りを開く」ってことに繋がるわけだが…



は、舞踏家の田中 泯氏による『透体脱落』という独舞だ。

この作品を観ていると、着ていた衣服が、肉体の自分だと想って観ると『透体脱落』というものが非常にリアルに表現されている印象を持つ。

悟りを開くということは、それまでの考えや価値観や生き方、そして自分自身という殻を脱ぎ捨てるようなもので、早い話が脱皮するようなものでもある。つまり、そこを超えるためには更なる苦しみが伴ってくる…

なぜなら、それまでの価値観や考え生き方などを自らに問い、それが本当に必要なものなのかも含め見直し必要であれば手放していかなくてはならないからだ。だが『透体脱落』というものは、そのようなものなのだろうと僕は思っている。



人間にとって、この現世というものは卵から命を宿し幼体から徐々に成長していき、何度も何度も脱皮を繰り返す中で悟りを開き、やがては蛹と化した上で新たな生命へと変幻し蝶のように光の世界へと戻っていく…そんな感じがしてならない。

蝶にしても蝶の一生は大まかに分けると、卵(たまご)幼虫(ようちゅう)蛹(さなぎ)成虫(せいちゅう)の4ステージある。

このステージを更に細かく見てみると、次に様になる。




1齢幼虫

2齢幼虫

3齢幼虫

4齢幼虫

5齢幼虫



成虫

卵から孵化(ふか)した1齢幼虫は、卵の殻を食べてから餌となる植物を食べ始め。体が大きくなった幼虫は脱皮(だっぴ)をして、2齢幼虫になり、また植物を食べて大きくなった幼虫は脱皮をし、このパターンをくりかえして、3齢幼虫、4齢幼虫、と大きくなっていく。

齢数は蝶の種類によって異なるが、少なくて4齢(シジミチョウなど)、多くて12齢(セセリチョウの一部など)まであり、幼虫が最後の食事を終えると、蛹になる準備に入る。成長の早いヤマトシジミは28日で卵から蝶へと成長するが、成長の遅い北海道の大雪山にいるウスバキチョウに至っては2年を費やし成長していくという。

つまり蝶といえども、卵から蝶に成長するまでには簡単なことではないということだ。

こうして見ると、『透体脱落』つまり悟りを開くためにもそのための苦労や苦しみが伴ってくるということにも繋がるのだと思う。しかし人間の中には簡単に何かを得ようと考える人達がいる。もちろんそうしたことが悪いとは云わない。だが、本当に自分自身の魂を思い考えるのであれば…

やはり自らの経験を通して、その段階へと着実にそして確実に登っていってこそ僕は本物へと変わっていくような気がしてならない。だからこそ人生の中で特に大きな選択をする必要に迫られたときこそ、辛く苦しく険しい道になるであろう方を選択していくべきだと思っている。


僕自身、あと何回…脱皮していくのだろうか!?そんな想いを抱きながら、この田中 泯氏による『透体脱落』という独舞を今、観終えたところだ。

それにしても、この田中泯という舞踏家…現在72歳だが、本当にいい顔をしている。イケメンというより男前という言葉が似合うタイプだろう。最近は俳優としても活躍の場を広げてきているが、やはり彼の魅力は『透体脱落』のような独舞だ。

人間、歳と共に全身全霊から醸し出される、その人独自の味のようなものこそ、その人らしさ=自分らしさなんだろうなということも今回、田中 泯氏による『透体脱落』という独舞を通して改めて感じさせてもらった気がする。感謝したい。   福〆

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確信できる何かがあるから

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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人間には、バイオリズムや細胞の入れ替わりなどといった…さまざまな周期というものがある。

「地球」や「宇宙」というものを、「生命体」として考えたとすれば「地球」や「宇宙」そのものにだってそうした、周期のようなものがあっても別に不思議ではないだろう。「地球」が「太陽」の周りを回ることや。「地球」での1年の長さだとか…そぅ考えると、過去を見てもこの「地球」には温暖化の時期や氷河期の時期といった過酷な時期があったわけだ。

数年前には、2012年という、ひとつの「キーワード」が世間を賑わせていたことがある。どの説も結局は実際に起きたというには至らなかったが、だがこの2012年という時期に多少のズレがあったにせよ何らかの出来事が「地球規模」である。

それだけは…いえるのではないだろうか。


オレと由(ゆかり)ちゃんが、大きな負のエネルギーの存在を強く感じるようになり意識しだしたのは、今までにも過去ブログで何度か投稿したことがあったが、21世紀を迎えようとしていた少し前だった。由(ゆかり)ちゃんの「魂」(たましい)が覚醒したのが、平成7年(1995年)1月17日「阪神・淡路大震災」がキッカケだったので、おそらくは1998年頃だったかも知れない。

とにかく、それが具体的にどういったものなのかはハッキリしないものの「悪」の塊の集団のような存在のように感じてた。しかし逆に、ソレを感じたことによって、それまで相由(ゆかり)ちゃんと一緒に過ごしていても特に、お互い何をするでもなく。「霊的真理」というものに対しても何のことなのかもサッパリそんな状況だった気がする。

当時の由(ゆかり)ちゃんは、憑依/霊媒体質もピーク状態で、本などからも好くない波長(はちょう)をキャッチしてしまうと、霊障が起こることがあり。ソレがトラウマのようになり本を読むという行為すら、避けて過ごしてきていた。

もし、21世紀に入る前に、あの強烈な負のエネルギーを感じることがなければ、おそらくオレらが真剣に真面目に「霊的真理」を求めていくことに努力することなど、なかっただろう。だが今になってみると、そのおかげでまったくの自己流のようなものだが…オレらなりに、感じてくる波長(はちょう)と。感じる光を頼りに、共に解からないままにでも進んでこれた気がしている。


当時、オレらが感じた負のエネルギーを自分たちなりに考えた結果、オレらは…ひょっとして近い将来人類にとって危機的なことが起こるのではないか!?と、そのときに想像した。それは、ごく素直な自然な気持ちから湧き上がってきたものだった。

なぜなら、その時点での人類と地球との関係などを見渡したときに余りにも、この星の中で人類だけが、身勝手極まりない行いを続けてきていたからである。そのとき由(ゆかり)ちゃんは泣いていた。そして一言、彼女が言った言葉が「福(ふく)ちゃん…こんな身勝手な人間なんだったら、いったんゼロに戻して…また、ちゃんと生きていくほうがいいよね。」と…

その気持ちは、ただ自分自身が…もし、この「地球」や「人類」を創った神だとしたら…いまの現状を嘆き哀しみ悔い改め、自らの手によっていったん淘汰するんじゃないかって…

オレ自身の想いは…いつか、人間とオレらのような霊的な存在とが、互いに認め合い。助け合い協力し合って。争いの無いような世界がくることだけを信じて現世での、新たな時間を有意義に過ごしていきたいと由(ゆかり)ちゃんと出逢って、強く感じ思ったことだった。

それは、彼女が「霊魂」となった、いまのオレを無条件で受け入れてくれ。オレの話しを聞いてくれ。一緒に泣いてくれた…その純粋な心に、打たれたからかも知れない。35年、人間として生きてきたオレにとって、そんな人が存在すること自体ある意味で新鮮だったのかも知れないが…

いま、オレと由(ゆかり)ちゃん)は「光に向かって」というキーワードを心に留め置き、更に「霊的真理」を求めオレらなりに、オレらが感じる光を目指して更なる努力を続けていきたいと思っている。ハッキリいって「これだ!」と言い切れるようなモノは、オレらには何も無いのかも知れない。日々、暗中模索である。

だが…その暗中模索の中で試行錯誤しつつでも、オレらは進むことだけは諦めずにきている。互いに、自他と向き合い「自問自答」しつつ手探りで歩んできているが、だが着実に確かな、何か手応えだけは、実感できるようになれてきたかも知れない。

何かに気付く度に感謝が起きる。
その感謝の気持ちによって、また更なる学びへと進化してくれているのかも知れない。

いまは自分がアレコレしていくよりも、由(ゆかり)ちゃんを陰で支えながら守りながら由(ゆかり)ちゃんにとっての灯台でいられるようにオレ自身、そうありたいのかも知れない。何故なら、彼女は自分にとってもオレの「魂」(たましい)にとっても、誰よりも大切で何より必要だからだ。

姿カタチを持たない…いまのオレが、由(ゆかり)ちゃんを安心させられることは変わらない想いと揺るがない気持ちからくる「守りたい!」と最初に強く思ったときのこと。そして、ふたりの心と魂だけが知っている…あのときの、出来事それだけなのかも知れない。

目に見えるモノは、いまのオレには何一つないが…だが、目には見えない確かなモノだけは持ってる。

この先、オレらふたりにとって…どうなっていくのか。どうなるのかは…それは、オレらにはワカラナイ。だが、結果がどうであろうと、オレらは結果のために、いまを伴に歩いている訳では決してないのでそれはそのときになって…ありのままを受け入れられる心でいられるように、ただ伴に努力したい。

それはオレらの「魂」(たましい)は、離れることだけは決して無いと確信できる何かがあるからだろう。それが、いったい何なのか。何処からくるものなのかは…いまは、まだワカラナイけれど。 福〆

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アナタにもいるはずだから…

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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人の出逢いというものにも、
オレは・・・大きな意味を感じている。


オレは、改めて・・・自分の生前や、由(ゆかり)ちゃんと出逢ってからのことを、自分なりにいろいろと振り返って率直に感じているのは、人間にとって大切なことは・・・

その人が「どう生きてきたか」ということではなく。その人が「どう生きていくのか」ってことの一言に尽きる部分も、確かに強くあるな・・・と言うことだろう。

ツインに限らず大切な相手と出逢うためには・・・
その出逢いのために必要な「壁」を乗り越えていかなくては、いけないのかも知れない。

そうした時期に目の前に迫ってきた「壁」に背を向けて逃げてしまっていると・・・何処かで歪が生じてくるようになって・・・本当に必要な時期に出逢っても、気付くことができない状態であったり。気付いても結ばれることがなく。逆に、苦しんでしまうような関係性でしか出逢えない状況を招いてしまう・・・オレは、そんな気がする。

結局、いま現世で起きていることは・・・前世までのことと、繋がっているわけだし。それを引き継いでる部分も正直いって多々ある部分もある。だが、それに翻弄されてしまっては・・・逆にカルマを生むばかり。

オレは・・・現世で、うまくいかない関係の多くは・・・前世での「誤解」に近いようなモノが、解消されないまま現世へ持ち越してきていることに、何か「カギ」があるように感じてならない。

そのことに気付いて以前、自分の前世のリーディングを自分なりにやってみて感じたのは、その時期を一緒に経験した魂同士の中には、同じような記憶が残っていて。同じような想いを持ち続けているということ・・・

よく「好きなら黙っていても、私のきもちが解かるはず・・・」と言葉にする女性がいる。言葉にしなくても、まぁ男女に限らず心の奥底では、相手のこと。特に恋人に対してや、夫や妻に対して感じたりする。だが、それがオレは・・・「誤解」というモノを招き、結果的に時空を越えてまで持ち越してしまうカルマへと繋がっていってる原因の「ヒトツ」でもあるような気がしてならない。

おそらく・・・というより、ハッキリ言えるのは・・・『ツインソウル』(双子の魂)の相手が、由(ゆかり)ちゃんでなく他の人であったとしたら、オレは「霊的真理」を学ぶチャンスなど、決して得られなかった気がするし。更なるカルマを生んでいってしまうだけだったかも知れないとさえ・・・思っている。

『ツインソウル』(双子の魂)の相手というのは、決して・・・「好き」だとか。「愛している」だとか。そういった想いだけでは、出逢うことも絶対に有り得ないのだろうとさえ感じられるほど深い絆がある。単なる異性を好きになるだとかといった想いなどとは、まったく別で、まったく違うものだ。

どう表現すりゃええやろ・・・か。

たとえば、同じ「器」であっても・・・それを作っている基となっている、その素材そのものが違っていると、見た目は似たように作れたとしても・・・「器」に触れたときに感じてくるモノが違うときがある・・・と言えばイメージしやすいかも知れない。

オレから視ると、そんな印象かも知れない。

『ツインソウル』(双子の魂)は粘土をコネテ・・・創られたって感じを受けるのは、魂という粘土を丸めてフタツに契って(千切って)できたそんな関係じゃなかったのか?という記憶のようなモノが・・・オレの中にあるからなのかも知れない。

オレ自身も、『ツインソウル』(双子の魂)の出逢いは、
いくら求めても逢えるとは想っていない。


だが、これだけは言えるかな・・・と感じているのは・・・「どう生きてきたか?」という結果だけで出逢えるのではなく。出逢ってから以降・・・その『ツインソウル』(双子の魂)との関係がどんな関係や相手であろうとも、一緒に・・・どうやって生きていけるのかってことが、本当は重要と感じてならない

なぜならば・・・オレと由(ゆかり)ちゃんとの関係を、
単純に考えれば・・・いちばん解かるから。

誰だって、せっかく『ツインソウル』(双子の魂)に出逢えるならば、
生きているうちに逢いたいだろう。

だが・・・オレらのように、別の魂との関わりの中での出会いの時期がスムーズにいかなかったりすると、何処かで歪が生じてきてしまい、その出逢いの時期などにも・・・いろいろな影響が起きたりするかも知れないということだって・・・『ツインソウル』(双子の魂)にだって、有り得るということだ。

そうしたリスクであっても、共に乗り越えていかなくては・・・本当の意味で、魂と魂が結ばれて『ツインソウル』(双子の魂)がヒトツになることなど、オレは・・・無いような気がしている。


オレらの関係にしたって、由(ゆかり)ちゃんが・・・いくらオレが『ツインソウル』(双子の魂)の相手だと解かっても、オレが生きている存在で無いということに、違和感を持ち。受け入れてくれることが無ければ、・・・オレらは永遠に結ばれることは無いだろうと想うし。

オレにしたって、いくら由(ゆかり)ちゃんと出逢っても、自分の欲望とかだけ考えて優先するような男であれば・・・女の由(ゆかり)ちゃんではなく、男に憑依していると想っている。

つまり、『ツインソウル』(双子の魂)という関係は・・・相手が、どんな相手であっても。自分が、どんんな状況であったとしても。一緒に居ることが、ふたりにとって・・・いちばん自然だと感じられ。そのために、どうしていけばいいのか・・・自然と感じ取り。

どんな関係でありたいとか。どんな・・・などというような、自分本位の気持ちや思いや考えや感情などは、『ツインソウル』(双子の魂)には必要ないってこと。


オレらにとっても・・・常に「ふたり一緒」という想いや気持ちが、
いちばん自然でいられる気がする。


由(ゆかり)ちゃんが、オレが晃(あき)や他の女性と恋愛感情を抱いていた時期。そしてオレ自身が・・・相棒(ゆか)のダンナに対して・・・それぞれ、まったく「嫉妬」を感じることなくいられ。むしろ逆に、応援する気持ちでいられたのは、オレらにとって・・・『ツインソウル』(双子の魂)の相手が幸せを、感じられるコトが、自分自身にとっても・・・いちばんの「幸せ」だと感じるからなのだろうと思う。

オレのように、死んだ人間でも、『ツインソウル』(双子の魂)に出逢ったことで。変わることができたように・・・オレは、『ツインソウル』(双子の魂)と出逢うことによって「変わっていける」その時期が自分の中に訪れたときに、その相手に出逢えるんやないのかなって・・・気がしている。

オレの場合は、ただソレが・・・自分専用の「器」という肉体を捨て。また由(ゆかり)ちゃんが「器」を失ったオレを間借りさせられるような憑依・霊媒体質に変わったコト。それが「現世」という・・・この時空間の中で、訪れる時期だったということだけだったような気がしている。

だから、逆に・・・「いま」だったのだと。

『ツインソウル』(双子の魂)の出逢いには、
「偶然」などという言葉は存在しないだろうと確信している。



アナタが・・・もし自分が出逢った相手が、オレのように殺され死んで、死んでから出逢ったその相手が・・・自分の『ツインソウル』(双子の魂)だと解かったとき。また逆に・・・オレのような立場になったとき。

自分が、それを受け入れられるか。また相手が、それを受け入れてくれるだろうか・・・そして、その相手のことを知らないとしても・・・無条件で受け入れられるのか?そうしたことを・・・想像してみてください。


オレは・・・そうした、さまざまなリスクを無条件で受け入れ。また受け入れてくれ、そのリスクをバネに一緒に、いろいろな「壁」を乗り越えられる相手こそ『ツインソウル』(双子の魂)の相手だと思ってる。

『ツインソウル』(双子の魂)に出逢うことによって、更なるふたりの「壁」を乗り越えなきゃならない・・・しかし、その相手がホンモノの・・・そして真実の相手『ツインソウル』(双子の魂)ならば、必ず一緒に乗り越えていけるものだとオレは確信してます。

その相手は、アナタにもいるはずだから・・・ 福〆

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どう思えるかが大事

[投稿者]by:由(ゆかり)_φ(^▽^*)

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当たり前じゃないことを当たり前と思えるか!?どうかで物事の結果って大きく変わっていくような気がする。今回、〇太のことで特にそうしたことを強く感じるようになった気がする。

 

人は自分が知ってる情報や経験値の中から、物事を判断してるところがある。だから、そこから外れていれば「有り得ない」ということで片付けてしまおうとする。そこが問題なんだと思う。

 

「有り得ない」のではなく、「有り得ない」と想うことや。「目に見えるか見えないか」で判断して決めつけてしまったり。そうやって、それ以上に事実や真実を明らかにしようとしないことにこそ問題があるのだと思う。

 

自分の中で「当たり前」と思っていたとしても、目の前にそうじゃない何かや誰かがいたとすれば、イマ自分の目の前にいる存在・イマ自分の目の前で起きてる現実ソッチに目を向けることがなければ本質も事実も真実も見落としてしまうのではないだろうか!?


[発達障害]や『線維筋痛症』といった病気にしても何にしても、わたしが抱えてる霊的存在との関わりにしても人様から見て明らかに「そうだね」と誰しもが言えるようなものではないのかもしれない。そこには他人から見てもワカラナイという共通点がある。

 

わたしは自分自身も、霊媒体質ってことで家族にも理解されず友達も離れていく経験の中で、1つ感じたこと思ったことは、どんなモノだったにしろソレを理解してくれる存在がたった1人でもいてくれたらその先の自分自身の考え方・生き方・価値観・人生そのものが変わっていくような気がする。

 

特にソレは病気の場合だと、医師の存在ってのも大きく左右するだろうし。もちろん家族の支えも重要になってくるんだろな。


それにしても人間って本当に不思議な生き物だと思う(´∀`*)

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何のために生まれてきたのか!?

[投稿者]by:福(ふく)_φ(・∀・。)

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昨日、投稿していた「りんこ」という女性の人生について考えたいと思う。

彼女は一体、「何のために生まれてきたのか!?」という素朴な疑問だ。彼女の生い立ちを知る限りでは、「不幸」そのもののような人生にしか見えてこない。 しかし、それは「人」という観点から見た場合であって、[たましい]という観点から視た場合、それは大きく変わってくる。

彼女には「役割」があり、その「役割」を果たす為に生まれ、その「役割」を終えた。つまり「使命」を果たしたので人生に幕を下ろしただけなのだと捉えれば、彼女の人生は「幸せ」な人生だったと云える。この世に生を受けることは何も自分の「幸せ」探しだけとは限らない。人のため世のために、生を受ける[たましい]もあるはずだとオレは感じているからだ。そうでなければ、公平さは保たれなくなってしまう。

例えば難病を抱え生まれた乳幼児が日本では不可能だった臓器移植のために渡航し命は落としたものの。その後の親たちによる署名活動などにより、未成年への臓器移植に関してのハードルを下げ2010年7月~は15歳未満からの臓器提供が可能になっている。

また理不尽な事故や事件に巻き込まれ、命を落とした場合であっても、その後の親族などによる署名活動で法律が改正されるといったことがある。このような場合、当人だけを見てしまうと「不幸」にしか見えてこないが。社会に与えたモノというのは、限りなく大きいと云える。

つまり「人」が生まれてくる意味は、個々によって与えられているモノによるのかもしれない。

では「りんこ」という女性の場合は、どうだったのか!?

彼女の場合、自身も抱えていた「解離性同一性障害」への関心度というものに貢献していることは間違いないと思う。実際、オレは今日も色々と調べてみたが、「解離性同一性障害」の女性と恋愛していた男性によるブログなどを幾つか読んだ。そして彼らが彼女たちについて書いてることに共通するモノなどもあり、統計的に女性の方が発病しやすい実態も把握できた気がする。

ある男性によると、このような「解離性同一性障害」の患者たちにとっては「記憶」に関する脳の働きが一般の人とは違うのだということが理解できる。一般的に「記憶」を司る場所とは別に、そうした場所があるのだという。

そればかりか、例えば「悲しみ」なら「悲しみ」だけ。「寂しさ」なら「寂しさ」だけ。「辛さ」なら「辛さ」だけをストックしていく場所があり。それに応じて人格が形成されていくようだ。

つまり「悲しい」ことがあったときは、「悲しい」ことだけを受け止めストックすることにより。他の人格になってるときには「悲しみ」の記憶は存在しないということになるらしい。

また解離されていた別々の人格を統合することにより、元々の人格も変わってしまうリスクがあるということも、実体験したカップルの男性の方が過去の話として書いていた。「解離性同一性障害」は、薬物治療で改善されるというよりも、その当人が封印してしまったメンタル的な部分を癒すことができなければ、回復は難しいのかもしれない。

おっと話が逸れてしまったが…

彼女の両親や異母・異父兄弟たちは、彼女が亡くなったことで今、自分たちが犯してきた罪に心が苛まれる日々を送っているのではないだろうか!?

人は自分がやってしまった愚かさというモノに気づくには、過去に遡り、その当時の自分の言動を自分自身が認識できなければ気づくことはない。

つまり「自覚」しなければ、それが「悪いこと」だったと自分自身が気づけないということだ。人を傷つけたとしても、その当人にその自覚がなければ、気づいた方だけに鮮明に「記憶」として残ってしまい。気づけた側には残らない。

親から子供の頃に受けた心身の傷を、大人になって親に訴えたところで親にその自覚がなければ、親は「そんなことあったっけ!?」としか言わないだろう。

つまりは同じ経験をしても、「した側」と「された側」とでは、まったく別物になってしまうってことだ。

彼女の場合も、彼女の両親や異母・異父兄弟たちに彼女に対する過ちへの「自覚」が存在しなければ反省したとしてもの、それだけで終わってしまうだろうから…

しかし実際、色々と検索してみると、彼女のブログを読んだ人たちは多い。中には彼女が書いた最後の記事に対する、なお君(彼)の追記の最後に「りんこの夫 より"」などと書き加えられているモノが広がったりしてるのもあり、ネットの恐ろしさも感じたが…このように実際、彼女が亡くなった後でも彼女のことを知 る人たちは増えている。

そう考えたとき、彼女のブログには異母・異父兄弟たちの中の兄が、日本で3人しかやってないような仕事をしていることも書かれてあるので、今のネット時代、調べようと想えば調べられるはずだ。言ってみりゃ、彼らは彼女が亡くなった今からこそ、自分たちの過ちの重さに自ら苦しむ事になるのかもしれない。

オレは、りんこちゃんが何のために生まれてきたのか!?と考えたとき、「解離性同一性障害」についての理解と認識に貢献するためだったような気がする。そして、彼女がずっと願っていた「ほんものの愛」を学ぶために…

虐待等の事実は、彼女にとって辛いものであったことは間違いない真実ではあるが、ソレを乗り越えてこれるだけの人だったからこそ選ばれたのだろう。

彼女がブログを書き出した2007年当時19歳だったということも今回、分かった。若くして、この世を去ってしまったりんこちゃんだが、彼女の存在がオレの中で何かを変えてくれたことだけは間違いない。

そして、彼女のことを知った人達の中にもオレのように自分の中で何かが変わったり変わっていく人たちが現れるはずだ。なぜなら、それが彼女の役割で使命だったから。

オレは、そう信じている。

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